高石ともやさん。

大変なものを目撃してしまいました。

7月5日、和歌山パリ祭の伴奏に行ってまいりました。
僕が伴奏したのは一部の橋本佳代さんとそのお弟子さん数人でした。
この橋本さんとはもう十数年お付き合いさせていただいてまして、その音楽に対する誠意と、そのなんでも楽しもうというバイタリティーに毎回敬服させられています。お弟子さんも相当の実力で、僕も伴奏していながら感動させられっぱなし。この人たちとお付き合いさせて頂いているのは本当に有難く思っています。

さて、その大変なもの・・・・(笑)。
このパリ祭は橋本さんのお弟子さんが中心に作っているコンサートなのですが二部が毎年ゲストなのです。
そして今年はあの受験生ブルースで有名な高石ともやさん。高石ともやとザ・ナターシャ・セブンの高石さん。
市民マラソンランナーの高石さん。
僕自身は30年程前に和歌山城の砂の丸広場での野外コンサートで偶然目撃して以来でした。
さて、今回、パリ祭での二部でなにが起ったのでしょう。
実はぼくにも理解出来ません(笑)。
でも、あえて書いてみます。いや、今日の事は書かずにはいられない。僕のマイルストーンになるような日だったのです。

まず、前日のリハーサル前。音響のYAMADA SOUNDの山田さんとの雑談から。
以下敬称略
岩田「山田さん、高石さんの所はバンドはどうなってるんですか・・・」
山田「バンドは無しみたいですよ・・・なんか本人が弾くギター一本の様です、しかもマイク取りのみ・・」
岩田「この大きなステージで二部全部を?」
山田「そう。」
岩田「ウワァ、凄い。いつか自分もそうなってみたいですね(笑)」
山田「(笑)」
で、山田さんが見せてくれたタイムスケジュール。
我々の一部は曲順と出し物がぎっしり整然と書かれています。
高石さんの2部は、有名な数曲とその下に「その他・・・・・」
つまり曲すら決まっていないようです。

そして、前日リハ自体は一部のみです。
午後にリハーサルをしてその後、前日打ち上げで夜は更けそのまま和歌山で宿泊。
当日リハ。朝9時に会場入りし、前リハで一部を11時までに終えます。
その後2部の最後で全員で歌う「見上げてごらん夜の星を」。
高石さんも登場です。
なんだか挙動がおかしいと言うか、普通じゃないテンション。いや異様に高いとかって言うのではなくて、何だろう、もの凄くフレンドリーと言うか、いや違う、まったく垣根が無い感じ。普通、人というのは自分と他人との垣根と言うか境目のようなものがありますよね。それが全く存在しないのですよ。だからと言って馴れ馴れしいのとも違います。いや、言葉にすればするほど違う事を言ってるなぁ。
とにかく初めての感覚です。しかもコミュニケーションも少し取り辛い感じです。何を言ってるのかさっぱり分からないでしょ。すいません。なんだろう。つまりね垣根が無くて「高石ともや」が全開なんですよ。でも、押し付けがましくも無く人を思いやる感じも全開で・・・うわぁ、ダメだ全然説明出来無い。ちょっと待て、ちゃんと説明します。いや、それを整理するために今、書いているのです。

そう、人が生まれて、回りの世界の情報に左右されること無く自分が良しとする事で育つ、でも回りの世界や、喜び、悲しみ、苦しみ、痛み、を思いやりを持って暖かく取り込む。それで真直ぐ一直線に育った人。
それが「高石ともや」

ああ、こんなので大丈夫なんだろうか。こんな書き込みをブログにして良いのだろうか。ええいままよ。行きます。

さてさて、全員リハを終えて高石さんのリハ
11時から1時までたっぷり2時間はとってあったのですが・・・

僕は一旦楽屋に帰って準備を整えていました。楽屋モニターから聞こえてくる高石さんの声。
バイオリン(フィドルでね)で伴奏しながら歌ってます、かなり適当なバイオリン。
しかし、ですよ、なんだか只ならぬものを感じます。
「適当にバイオリンで遊んでいたら自分の歌と一体化して音楽になっちゃった」みたいな。
普通バイオリン一本で伴奏って難しいですよ。でも、そんな事微塵も感じ無いのです、しかもかなり適当です。
なんかこう、どこかの辺境の地のおじいさんが奏でるような音楽。全く自然で悠久の歴史の中から切り取った一瞬の日常。誰も聞く人のない、家の前のイスに腰掛けて自分の楽しみで奏でる音楽。そんな音楽です。和歌山市民会館大ホールでは無いような。いや、有るような、いやいや。そんな事全く関係ないような。それが楽屋のモニターから聞こえてきました。パーカッションの中村岳君と二人で「面白そう」と顔を見合わせた瞬間、立ち上がっていました。そしてステージ脇で少し様子を見るつもりだったのに引き込まれて誰もいない客席に移動して聞き入りました。適当なリハーサルです、なんか色々と適当に喋りながら適当に曲をつぎつぎとやっていく。でも、知らない間に涙を流してました。とうとう、涙が止まらなくなって高石さんがリハーサルを終えるまでのわずか30分くらい。ハンカチで涙を拭きながらグシャグシャになって見てました。まったく何が起ったのかわけが分からない。別に曲が好きだったわけでもなく高石さんの技術が高いわけでもなく凄いわけでもなく感動的なわけでもなく、ただ淡々と歌っているだけです。でも、よく知ってる曲の言葉の一つ一つが聞いた事も無いような強い意味で聞こえてきていました。その言葉の一つづつがグワッと心を持っていくのです。しかも音楽的には適当な感じ。多分もう音楽でも無いのだと思います、いや、本当はこれこそが音楽なのでしょうか。音楽じゃなくて「高石ともや」と言うものなのでしょうか。もう僕には分かりません。

そして本番。一部の橋本さんはじめ生徒さんたち。このひたむきな人たちにいつも感動させられます。一年間同じ歌をひたすら歌ってきたひたむきな感じは我々職業として音楽をしているものには決して到達出来ない世界を持っています。そのことを決して忘れずに一生音楽をして行きたいものです。有難うみなさん。そして橋本さん。そしてそしてシャンソン風歌謡「駄目な男」を発表した宇田川妙ちゃん。

2部の高石さんのステージ。リハーサルと全く同様に涙が小一時間流れっぱなしでした。最後の曲を全員でやるのも忘れてました。音響の山田さんの横に座ってみていたので「岩田さん、そろそろ行った方が良いんじゃないですか」と促されてハっと我に帰って(山田さん有難う)やっと客席を後にしました。
この得体の知れない感動。なんだったのでしょう。

ステージがはねて打ち上げでの席(100人は居るでしょうか、大打ち上げです(笑))、僕は高石さんではなくマネージャーの中田さんを捕まえて話を伺いました。たぶん高石さん本人は自然にやってる事なので「あなたはなんなのですか」と、聞いても答えは返ってこないと思ったのです。
で、中田さんの方を見ると彼女も僕の方を見ていて目が合いごく自然に席を寄せて話しだしました。高石さんのまわりはこんな人達ばかりなのでしょうか(笑)。
なんと中田さんはベーシストでした。大笑いです。ぼくは自分の聞きたい事をドンピシャの人に尋ねたわけです。しかも中田さんも僕の演奏を気に入ってくれたらしく話したいと思っていた所だったらしい。夢中で小一時間あまり話し込みました。ほとんどが今日の感動の確認でしたが、一つ大きくわかった事があります。高石さんは大変な努力であのステージが出来上がっているのだそうです。決して天然の人ではないらしい。とにかく音楽が好きでもの凄く想いが強いのだそうです。特に言葉に対する想いは尋常ではなくて、一言々々に深い考えがあって、そしてある言葉に対する自分の想いが伝わるためにはどうしたら良いのかの工夫が全力なのだそうです。そう言えばリハーサルの時に「ギターの高音を下げてくれ」みたいな事をおっしゃってられたのですが、その理由が「言葉がよく聞こえるように」でした。これは当たり前の事のように聞こえますが実はなかなか言えない一言です。やはりミュージシャンというもの自分の奏でる楽器はとにかく良い音で聞かせたいと思っているものです。でも彼はトータルで言葉が聞こえるために優先する順位が普通のミュージシャンとは異なるのです。とにかくその全てが言葉の想いが伝わるようにと言う事らしいです。しかもひたむきにです。決して押し付けがましくなく、「この言葉を聞け」ではなく、単純に自分が大切だと思っている事が伝わって欲しいと言う願いのような事なのでしょう。しかもそのことが大切であると至る為までの過程には苦悩や経験や色んな人の想いを深く考えた末のものなのでしょう。つまり単なる自己中心的な想いなのではないように感じます。
いやいや、感服です。僕自身は言葉の有る事をやってはいません。全く違う音楽をやっています。でも、高石さんのようにひたむきに自然に生きていきたいと思う今日でした。有難うございましたみなさん。


PS.やはり駄目ですね、大切な事を全然言えていない。高石さんに笑われそうだ。
少しずつこの文章を更新します。今日のところはこれで勘弁してください。
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by xou99 | 2009-07-06 03:03 | 色々と、
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